関東大震災前の笹窪谷の地形図

 

 1923年の関東大震災以前には、笹窪谷の左岸(北側)には約11軒の農家がありました(下地図部分、斜線部)。大震災後、それらの民家は北側の畑地に移動し、現在に至っています。地図上では谷戸内横断道、は現在の看護医療学部校舎付近、は現在の慶応大学SFC構内付近、は宇都母知神社。

 「遠藤村今昔」(昭和56年、遠藤公民館発行)によると、「笹久保の部落は谷沿いに十二戸の家が点在していたが、震災で全て潰れてしまったため、高台に全部落が新しい集落を作り、水田耕作から畑作へ、更に酪農、造園を主に変わっていった」とあります。

 下の地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により1920年頃の様子を作成したものです。  ホームへ戻る