昭和55年5月1日、藤沢文化研究所発行「遠藤の昔の生活」添付資料「遠藤笹窪谷村絵図」より

 

 笹窪:集落名で、笹久保とも書く。いずれにしても、「クボ」は谷戸地形を表した名前である。「笹」の由来は、「クマザサが群生していた」のではと言われているが、クマザサの自生地は京都山地に限られるので、他のササ類を指しているのかもしれない。

 

・かつて谷戸底に12軒の農家があったが、関東大震災で地割れ、地滑りが起こって全戸が倒

   壊し、高台に移住した。現在もある墓地がその名残をとどめている。

・1980年代前半まで、谷戸底は水田として利用されていた。
・その後、藤沢市が1987年に策定した「健康と文化の森」構想により谷戸底を買い上げる方

   向となったことから、水田は徐々に休耕された。
・「健康と文化の森」構想に基づき、1990年4月に笹窪谷の南側苅込地区に慶應義塾湘南藤

   沢キャンパスが開設された。
・1995年3月、湘南ライフタウンにオープンした「とうきゅう」の建設残土が持ち込まれ、

   谷戸底の半分以上が埋め立てられてしまった。
・大庭自然探偵団、藤沢探鳥クラブの保全に向けた活動が継続される中、オオタカの繁殖が

   確認されたことなどが契機となり、谷戸奥の埋め立てが回避された。
・2001年4月、谷戸底の客土部分に看護医療学部が開設された。
・2001年~ 「遠藤竹炭の会」により、モウソウチク林の整備と「竹炭祭」が行われるよう

   になる。      

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